どちらを選ぶ?
一体
君はどちらの味方なんだぁ~!!
まさに
このタイトル通り
観客一人一人が
問われているような芝居。
深刻な話がこの2人に掛かるとなぜか(笑) |
1933年からの
ナチ時代のドイツを回想する形で
敗戦後1945年までを描いている。
・・・と
ここまで書けば
重い内容の芝居だってこと
想像付きますよね?
でも
あえて観に行こう!
と思ったわけは
そのテーマに惹かれたから。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーを
ご存知ですか?
カラヤン、バーンスタインと並び称される
音楽史にその名が輝く
名マエストロ。
そう
その彼を題材にした戯曲だもの!
行かないでどうする!?
今でも
彼の録音を聴くことが出来るけれど
オケの躍動感や一体感を感じるにつれ
これだけの音をまとめ上げられる人物は
一体どんな人なのかぁ~?と
興味が湧くのは
当然と言えば、、、当然でしょうか。
彼の独白
「 わたしの唯一の関心事は
音楽の最高水準を維持することだった。
これがわたしの使命だと思っている」
ナチ統治下の自国ドイツで
政治と芸術は切り離されるべきもの
と持論を展開。
ヒトラーに抵抗しながらも
最終的にはナチに利用されてしまう。
それでも亡命はせず
終戦まで自国に留まり
ナチではなく
ドイツ国民のために指揮を続けた人。
戯曲のサブ・タイトルは
「ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日」。
2時間半ほどの舞台は
フルトヴェングラー、その人が
連合軍に裁かれる裁判劇として進行する。
結局ナチに加担したのでは?
という疑いを掛けられちゃうんだけどね・・・
終幕は
最後に守るべきものは何か?
と観客が問いかけられてジ・エンド!!
ここから先は
あんまり詳しくは書きませんがッ!
興味ある方はこちらを。
http://www.gingeki.jp/special/takingside/
この芝居、
すご~く私自身の思いと
重なるものがあったんですよ~
震災の時に
お腹もふくれない
寒さが凌げる訳でもない、
音楽って
一体なんの役に立つんだろう・・・
と思いました。
私だけでなく
多くの音楽家たちが。
それと同じ思いを
フルトヴェングラーも
感じてるんですよね。
フルトヴェングラー役の
平幹二朗さんがおっしゃってます。
「人間の荒れ狂うもの
それを浄化するのが芸術だと信じたい」と。
人の心が一番すさんでいる時
悲しみや喪失感で気持ちが空虚な時
そっと寄り添える存在でありたいし
音楽・芸術には
見えない先をわずかでも照らす
希望の灯があると
信じたい、と思うから。
願望が確信に変わったような思いもあるし
でもその一方で
人間の不確かさや弱さも同時に見え隠れするような
考えさせられるテーマだったなぁ。
同じ状況だったら
私はどうしただろう・・・
あなたならどうしますか?
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